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「僕には、お母さんがいません」

小学2年生のときに両親が離婚して以来、
ずっと会っていなかった「お母さん」へ手紙を書きました。

今回やらせていただいた全14回の連載は、すべて事実です。

第1話から順番に読み返せるように、
まとめページをつくったので、よろしければご覧ください!

▼お母さんへ20年ぶりの手紙を書いた


オススメ記事 | 2011.02.12 Saturday | 記事URL | comments(6)


20年ぶりの再会を果たした夜、お母さんと寝ることになった。

急な階段を上り、小さいころに約半年間住んでいた部屋に入る。
全然記憶はないけれど、どこか懐かしい感じがした。

そして、お母さんと2人きりになれた。

この時点で変な緊張感はなくなっていて、
普段からやりとりをしているような親子に戻っていた。

「お母さんは会えてよかった?」
「もう死ぬまで会えないと思ってたからね。そりゃ、嬉しいわ」
「30歳までには会いたいと思ってたから、実現できて良かった」
「ホント、よく来てくれたね」

灯りを落とした静かな部屋で、
お母さんの声が小さく響いた。



▼翌日

この日は、お母さんの姉の家に行くことになった。
やはり僕のことを知っていて、会って早々に涙を浮かべながら喜んでくれた。

意を決して熊本を訪れてから、
僕と血が繋がっている家族や親戚がこんなにも大勢いることがわかった。

20人以上、増えたんじゃないだろうか。
誰もが「よかったね」と、温かい声をかけてくれる。

家族が増えたこと。帰る故郷ができたこと。
どちらも、熊本を訪れるまでは想像もつかなかったことだ。

「家族が多いっていいもんやろ?」
「うん、びっくりした」
「何かあったらすぐに頼ったらええんよ」
「わかった」




▼お母さんとの別れ


僕、お母さん、従姉妹のお姉さん、そのお姉さんの旦那さん、
4人で車に乗り込み、熊本空港まで送ってもらった。

熊本空港は、霧がとてもかかりやすくて
飛行機が遅れることも珍しくないそうだ。

何気ない会話を楽しみながら、雪が積もる空港に到着。

出発まで時間があったので、
お母さんと一緒にお土産を選んで時間を過ごす。

持ちきれないほどのお土産を買ってもらって、
搭乗ロビー近くに移動する。



▼飛行機が飛び立つ30分前

僕は、「ここまでで大丈夫」と、自ら切り出した。

これ以上、引きとめるのも悪かったし
何より自分から切り出さないと“別れの覚悟”が決まらなかった。


「そっか…。健康にだけは気をつけるんよ」


その瞬間、お母さんの目から涙がこぼれ落ちた。
照れ笑いをしながらも、鼻をすする音が止まらなかった。

それを見て、僕もとうとう泣いてしまった。

これまでは他の人たちが一緒だったこともあり、
なんとか涙を堪えることができていた。

だけど、それももう限界だった。

「これが最後になるわけじゃないし、また近いうちに帰ってくるから」

「いつでも帰ってきたらええんよ。家族がいっぱいいるんやから」


・・・・・


10代のころ、お母さんがいないことを恨んでいた。

自分の不甲斐なさを、
すべて環境のせいにしたこともあった。

そして23歳のときには、
身近な人の「死」に直面し、絶望したことも…。

「最後に、お母さんに会いたい」

その願いは叶わなかった。

そして、28歳になった僕は東京で暮らしている。

編集長のシモダに「早く上京しろ!」と、
尻を叩かれ、必死で貯めた上京資金の50万円。

それは、お金では買えない価値となって
今の自分を形成する一部となっている。

オモコロの活動を通して、さまざまな出会いに恵まれた。
充実した毎日を送ることができているのは、オモコロのおかげ。

その支えがあったからこそ、
こんな企画を実現することができたんだと思う。







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お母さん、僕を産んでくれてありがとう!









(おわり)
お母さんへ20年ぶりの手紙を書いた | 2011.02.10 Thursday | 記事URL | comments(41)



熊本市内から車で約1時間。

僕が5歳のころに、約半年間住んでいた団地に到着した。

「お母さん」と一緒に、小さな扉を開けて部屋に入ると
おじいちゃんとおばあちゃんが出迎えてくれた。

正直、ここで暮らしていたことはほぼ覚えていない。
だけど、おじいちゃんとおばあちゃんはシワシワの顔で
「こんなに大きくなって…」と、泣きながら再会を喜んでくれた。

2人とも80歳を過ぎていて、
おじいちゃんはハッキリと話すことができない。
おばあちゃんは耳が遠くなってしまっているようだった。




小さなコタツを囲んで、定位置に2人が座り、
「お母さん」が身の回りの世話をしているらしい。

僕が産まれた直後、おばあちゃんが面倒を見てくれたり
はるばる大阪までやってきて、遊んでくれたりもしたそうだ。

約23年ぶりの再会…。

父方のおばあちゃんは僕が小さいころに亡くなっていて、
おじいちゃんとは再会を果たせぬまま昨年亡くなってしまった。

だからこそ余計に、
おじいちゃんとおばあちゃんに囲まれて過ごす時間は
とても新鮮であり、同時に懐かしくもあった。



ちなみに、戦争経験者のおじいちゃんは
ソ連の強制収容所(シベリア抑留)に居たことがあるそうだ。

届いたばかりの戦争経験者への給付金証明書を手に取り
「いまさら、こんな紙切れ1枚で…」と、震えながら
悔しそうにつぶやいていたのが印象的だった。




「おじいちゃんとおばあちゃんが生きてる間に、ひ孫を見せにくるからね!」

2人とも本当に喜んでくれていた。





(次回、最終回です)

お母さんへ20年ぶりの手紙を書いた | 2011.02.02 Wednesday | 記事URL | comments(11)
※第1回目の記事から見る


「お母さん」と20年ぶりの再会を果たした後、
ショッピングモールで、買い物に付き合うことになった。

「お母さん」も、あまり街まで出てくる機会がないらしく、
折角の機会なので「アクセサリーを見たい」と話していた。

「お母さんは、こういうのが好きなんよ」
「いつも同じようなの選んでしまうんやけどね」
「柿次郎は、どれがいいと思う?」

候補の中から、「お母さん」に似合いそうなアクセサリーを選び、
そのままレジに持って行って支払いを済ませた。

「はい、これ」

戸惑いながらも、「ええの? ありがとう…」と
「お母さん」は少し嬉しそうに受け取ってくれた。

「高いものじゃないけど、これで500円分ぐらい価値あがったんじゃない?」

これまで何もできなかった
親孝行のひとつにでもなればいいなと、自然と動いていた。

その後、さっきのプレゼントのお返しとばかりに
「柿次郎に似合うプレゼントを買ってあげるよ!」と、
女性3人の洋服選びがスタート。

28歳にもなって服を選んでもらうのも気恥ずかしいけれど、
普通の親子関係の経験を、今になって再現するのも悪くないと思えた。


買ってもらった服を着てモデル気取りの柿次郎(28歳 / ライター)


少し遅い昼食を食べて、
車で1時間ほどの場所にある「お母さん」の住む家に行くことになった。

僕が5歳ぐらいのときに半年間住んでいた家。
そして、おじいちゃんとおばあちゃんも住んでいる家だ。

もう80歳過ぎだと聞いているけれど、
元気にしているのだろうか?

もうひとつの再会に向けて、車は山道を進んでいった。




つづく


お母さんへ20年ぶりの手紙を書いた | 2011.01.31 Monday | 記事URL | comments(11)
※第1回目の記事から見る


▼12月25日 PM 12:00 「お母さん」との約束の時間


待ち合わせの場所に辿り着いたころ、
「お母さん」からメールが届いた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

▼お母さん→柿次郎へのメール

車で、すぐ近くまで来ています。
柿次郎は、どのあたりにいますか?


▼柿次郎→お母さんへのメール

今、ゆめタウンのレストラン街に来ました。
入り口近くのタリーズコーヒーに入っておきます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そういえばお腹が空いていたことを思い出し、
カフェでサンドイッチとドリンクのセットを頼んだ。

正直、あまり緊張することもないまま、
ただ「お母さん」が来るのを待っていた。

時計が12時を回ったころ、
「トントン!」と、窓ガラスを叩く音が聞こえた。

僕に向かって「あー!」と指をさして、
ほほ笑みながら入り口に回ってくる女性がいた。



お母さんだ。



その場で立ち上がり、お店に入ってくるのを待つ。
心臓がバクバクと高鳴り、一気に緊張感が走る。

「あー、柿次郎? おおきなったねぇ〜」

満面の笑みで再会を喜ぶ「お母さん」。

僕は、「う、うん」と小さく応えることしかできなかった。
なぜかというと、「お母さん」の隣に2人の女性がいたからだ。

その女性2人も「柿次郎、おおきなったねぇ〜」と、声を合わせていた。

少し戸惑いながら、「お母さん」の説明を待った。

どうやら「お母さん」の姉にあたる伯母さんと、
その伯母さんの娘。つまり僕の従姉妹にあたる女性のようだ。

理解に少し時間がかかる中、「お母さん」と伯母さんと従姉妹が
僕に向かって、矢継ぎ早にいろいろと話しかけてくる。

「あんな小さかったのに、こんなにおおきくなって!」
「柿次郎が幼稚園のころ、一緒に遊んでたんよ?」
「え、何も覚えとらんの!? こっちはよう覚えとるよ!」
「あら、ホントに目元はお母さんソックリやね!」
「こんな良い男に育って、やっぱり東京は違うんかね?」
「あんた想像していたお母さんとどう? キレイかい?」

底抜けに明るいこの女性3人は、
誰が見ても「同じ家族なんだな」と、思えるほどそっくりだった。

「お母さん」は、僕の顔をマジマジと眺めながら、
「良かったねぇ、良かったねぇ」と繰り返していた。

そして、その目にはうっすらと涙が溜まっていて、
時折、鼻をすするような仕草を見せた。

きっと、「お母さん」もひとりで会うのが怖かったのだろう。

僕にとっては予想外だったけれど、
勢いよく会話が飛び交うこの明るい雰囲気は、
しんみりとした再会にならず良かったのかもしれない。

そこから約1時間。

僕の近況やこれまでに起きた出来事など、
口がカラカラになるまで言葉を交わした。

もうこれだけでも、
熊本まで会いにきた甲斐があったと思う。

20年間どこかで感じ続けていた寂しさが薄れていく。

ほんとうに…よかった。




(つづく)

お母さんへ20年ぶりの手紙を書いた | 2011.01.26 Wednesday | 記事URL | comments(25)

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